【二日目】初心者で出場した東海道ウルトラマラソンで、洗礼を浴びまくって絶望した一日でした

TRAINING

フルマラソンしか走ったことがなかったウルトラマラソン初心者が、4日で東海道53次の250㎞を走るレースに参加して2日目。

 

参加することを後悔したくらい、ウルトラマラソンの洗礼を味わいました。

 

2日目は関宿を出発して名古屋にある宮宿、今の熱田神宮まで64㎞を走るコースです。レース開始時は初日にして西軍最大の難関である鈴鹿峠を越えてしまえば、2日目以降は平たんな道を60㎞程度なので、正直楽勝だと思っていました。

 

しかし、2日目に走り出してから、そんな楽観的な考えも無残に打ち砕かれてしまいました。

 

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2日目は東海道を三重から名古屋の熱田神宮まで走るコースです

 

2日目は比較的平坦なコースを名古屋の熱田神宮まで走るのですが、初日のキロ7分台のペースと比較して落ち込みが大きく、キロ10分台になっていることからもわかるように、まともに走ることができない一日でした。

 

 

二日目以降の3日間は、朝5時から夜23時まで走ることができるので、ぼくは5時ころから独りでゆっくり走りだそうと決めていました。

 

前日にホテルで鈴鹿峠を越えることができた余韻に浸りながら、メンバーと打ち上げを行い(西軍は毎晩打ち上げをやっていた!)、鍼灸師でもあるメンバーに針治療をしてもらって、二日目の走りにばっちり備えていました。

 

ただ、朝4時過ぎに目を覚ましてホテルの外に目をやると、昨晩からの雪が積もっているではありませんか!

 

 

支度をしてロビーに降りてきて、尋常じゃない雪の積もり具合にすっかり意気消沈して、5時過ぎから走る気力が奪われてしまいました。

 

思えば、2日目の悲劇はスタートの雪から既に始まっていたのでした。

 

故郷の静岡では雪は降らないので、雪に対する耐性がいっさいないので、こんな状態で走ったらどうなるのか心の準備ができないでいたので、結局ほかのメンバーと一緒に走ろうと思い、朝7時半ころからのスタートとなりました。

 

 

さいわい路面が凍結している状態までは至らなかったため、7時半ころメンバーと一緒にスタート!

 

風もなく晴れていたので、なんとか走れる状態だったこともあり、スタート時点では比較的余裕をもっていました。(このあと洗礼を浴びて走れなくなるのですが)

 

 

ホテルを出発して太陽もでているので、この時点では余裕しゃくしゃくです。

 

初日の鈴鹿峠と70㎞を超える走りで足は重くはなっていましたが、筋肉痛はなく、足首なども比較的正常に近い感覚でした。

 

のぶさん
のぶさん

2日目も余裕なんじゃないの?早く熱田神宮について、ひつまぶし食べよう!

 

なーんて考えていました。

 

 

二日目に通過する最初の宿場町は、亀山宿です。

 

二日目は大晦日なので仕事をしている人もすくないのか、朝からひっそりとしていました。亀山宿は比較的昔の風情を残している家も多く、気持ちよく走ることができました。

 

ただ、亀山宿を越えてからは1号線をひたすら熱田神宮に向かって進むコースになり、たいした見所がないまま変化に乏しいコースを淡々と進むことになります。

 

 

亀山宿を通過して次の宿場町である庄野宿へ進んでいると、最悪なことに雪がちらついてきました。

 

この日の天気予報は近畿地方から東海地方にかけて、雪。

 

走っていると寒くはないのですが、歩きが入るととたんに冷えてしまうため、雪が強くならないうちに少しでも距離を稼いで熱田神宮に到着する必要がありました。

 

ただ、出発当初は問題なかった脚ですが、庄野宿を越えたあたりから足の甲がズキズキと痛み出してきました。

 

それでも痛みを気にしないようにして、速度を落とさないように走ります。

 

歩いたところで熱田神宮に行かなければならないのは変わらないので、リタイヤする気はありませんでした。

 

 

足が痛いときに経験豊富なランナーなら対処法を知っているのでしょうが、いかんせんウルトラマラソン初心者の自分は、こうしたトラブル対処方法を知りません。

 

そうこうしているうちに足の甲がどんどん痛み出し、脳が痛みに支配されていくのがわかり、それと反比例するように走る気力がどんどんそがれていくのです。

 

石薬師宿を越えて18㎞あたりで走ることができなくなってしまいました

 

そして、18㎞あたりで足の甲の痛みから走ることができなくなり、このままではメンバーに迷惑をかけてしまうと判断し、西軍2人とサポートの1人には先に行ってもらうようにお願いをしました。

 

歩くのも辛いのですが、熱田神宮までまだ45㎞は残っています。

 

軽く、フルマラソンの42㎞より長い距離を進まなければなりません。この時の絶望感は、とても一言では形容しがたいものでした。

 

足の甲が痛くて走れない

雪が降ってきて寒い

まだ45㎞も先はある

 

「これがウルトラマラソンか!」

 

といきなり250㎞に参加してしまった自分を呪いながら、それでも歩くしか解決方法はないので、少しでも早くゴールできるようにキロ9分から10分で歩を進めます。

 

一時間に5㎞進むことができれば、単純計算で45㎞を9時間で終えることができます。歩き出した時点では正午前だったと記憶しているので、19時にはホテルに入る目標で歩を進めました。

 

正直二日目のコースで大部分を占めた四日市から桑名のあたりは、記憶がほとんど残っていません。コース自体が特徴のないこともありますが、歩くのに必死だったことも関係していると思います。

 

 

四日市の宿場町を通過したときも雪が降っていましたし、人気がまばらだったこともあり、このあたりが精神的に一番ダメージを負っていました。

 

 

桑名に入っても平凡な風景が続くので、正直歩を進める以外に考えることもありません。

 

この四日市から桑名の区間は、ひたすらウルトラマラソンを走る前に読んだ千日回峰行の達成者が言っていた言葉を思い出していました。

 

わたし自身が生きていくうえでの基準は、やはり行で体験したことになります。お坊さんになってから、回峰行や大護摩供で経験させてもらったことが基準になっているわけです。

言い換えれば、それが自分のレベルでもあります。自分のレベルというか、基準値が高ければ高いほど、いい意味でいろんなことが楽に思えてくるわけです。そういう自分の価値基準を上げるのが行だと思います。

引用:「千日回峰行を生きる」 光永圓道

 

ウルトラマラソン二日目に気が付いたのは、自分との約束を果たすことが目標

 

 

のぶさん
のぶさん

これは行なんだ。自分の基準をあげるんだ。

本で読んだ行のことを考えていないと、すぐにでもリタイヤして電車に乗ってしまいたい衝動を消すことができませんでした。

 

自分が歩を進めているのは国道一号線であり、JRの駅も何個も通過します。リタイアをして電車に乗れば、苦しみと寒さから解放されます。

 

だけど、リタイヤしないで歩こうと思えたのは、「歩けば必ずゴールできること」「自分との約束を果たすこと」の2点が自分を支えていました。

 

個人的には、「歩けば必ずゴールできること」がわかっていたのは、とても大きかったと思います。仕事などの問題と違い、自分だけの意志と行動だけで達成できるのですから。

 

そんなことを考えながら、ひたすら熱田神宮を目指しました

 

 

ただ、40㎞程度の距離まできて気が付いたのですが、少しでも早く歩こうと思って無理な姿勢で足の力を使って歩いた結果、大腿部からふくらはぎ、そして足首まわりに負担がかかってしまい、痛みが出てきてしまったのです。

 

ここからは本当に地獄でした。

 

足が痛くて走ることもできないなか、まだあと2日で100㎞以上も走らないといけない現実に、心が折れそうになりました。

 

(高所恐怖症なので、長良川などの橋だけは走ることができました。怖さが痛みに勝った瞬間でした。これは不思議な体験でした)

 

夜の名古屋を延々と歩きながら、3日目はリタイヤしようと考えていた

 

 

46㎞地点でやっと愛知県に入ったところで、西軍のメンバーに追いつくことができました。

 

私を待っていてくれたことと、もう一人も脚を痛めてしまって走ることができなくなって休んでいたためでした。

 

ここから熱田神宮まであと18㎞程度あります。時間は17時前。

 

一時間に5キロ進むことができれば、21時にはホテルに入ることができます。

 

既に気力も体力も限界で足の痛みは増すばかりですが、ここからは2人でひたすら愛知県を横切って歩きました。

 

正直辛すぎたのと、気持ちを紛らわすために2人でひたすら会話をしていたので、ここからは一枚も写真を撮っていませんでした。

 

ただ、夜になって寒さで凍えるくらい真っ暗な中で見えた名古屋駅のセントラルタワーのことは、鮮明に覚えています。

 

理由は、歩いても歩いてもセントラルタワーが同じ大きさのままだったから。

 

このとき、一緒に歩いたメンバーには「3日目はリタイヤすると思う。もう頑張ったからね」と予防線を張っていました。

 

後から聞いた話ですが、ホテルについてから他のメンバーは「のぶさん、たぶんリタイヤするかも。」といった話が出ていたようです。

 

大学時代から新卒で仕事を始めるまで住んでいた名古屋を懐かしく思いながら、終わることのない中川区に恨みが出てきて、もう少しで名古屋がトラウマになりそうなくらいになりながら、21時30分頃にホテルにつくことができました。

 

この日は疲労困憊だったのと精神的に追い詰められていたため、メンバーと一緒に食事をすることはなく、コンビニで弁当を買って部屋で独りで過ごしていました。

 

それくらい、ウルトラマラソン2日目に打ちのめされていました。

 

3日目はリタイヤするかどうか、気持ち的には決めきれないまま0時前には眠りにつきました。

 

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初日の詳細はこちらの記事で。

 

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