【最終日】ウルトラマラソン初心者が、京都から浜松までの東海道250㎞を無事に走破できました!

TRAINING

フルマラソン以上の距離を走ったことがないウルトラマラソン初心者ながら、四日間で250㎞を走る東海道ウルトラマラソンに出走してしまった物語も、この記事で最終日を迎えました。

 

三日目は40㎞を超えた終盤から下痢と補給ミスによる体力低下で走れなくなってしまいましたが、泣いても笑っても最終日となる豊橋→浜松のコースは45㎞程度の距離になります。

 

三日目まで毎日60㎞以上を走ったり歩いたりしてきたので、最終日の距離が40キロ台と聞いて「短いね!」と思ってしまうようになっているのは、完全にウルトラマラソンで頭がおかしくなっている証拠ですww。

 

最終日も前の晩に親指の爪がはがれそうになって出血するなど、とてもじゃないけど万全の状態からは程遠いです。

 

それでも、最終日は這ってでも歩を進めていけばゴールできることはわかっているので、ゴールすることだけを考えて、朝5時から独りでスタートしました。

 

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豊橋区間の開始3kmで胃腸トラブルにより走れなくなってしまいました

最終日も走れるところまで走ってやろうと思い、新年二日目の静かな早朝5時からホテルをスタートしました。

 

スタートして1㎞くらいは体を暖めながら、痛くないところをチェックして、これから始まる最後の45㎞に想いを馳せていました。

 

ただ、豊橋から最初の宿場町である二川宿に向かって走り出して3㎞くらいの距離にきて、いきなり走れなくなってしまいました。

 

今回のウルトラマラソンで一番恐れていた、胃腸トラブルが出てしまったのです!

 

走り出して最初は「体がなんだか重いな~。」くらいに思っていたのですが、走るごとに吐き気が大きくなり、3㎞走ったあたりで朝から食べたものを吐いてしまいました。

 

胃腸トラブルにあったときは暖かいものをとったほうがよいと考えて、コンビニでホットコーヒーを飲んでみましたが、症状はどんどん悪くなるばかり。

 

のぶさん
のぶさん

ウルトラマラソンの胃腸トラブル、マジできつい。辛すぎる。。。

初めて胃腸トラブルにあってしまい、この四日間で最大のピンチに陥ってしまいました。この時点で、ゴールまで42㎞あります。

 

幸い朝5時にスタートしているので、吐いてしまった時点でも朝6時を過ぎたばかりだったので、気を取り直して、だましだまし歩くことにしました。

 

 

朝日が出てきて暖かくなれば胃腸も回復するだろうと思い、二川宿あたりから気持ちを持ち直して、トコトコと歩き続けることに集中するようにしていたが、胃腸トラブルは治らず大苦戦。

 

 

風はないものの、早朝は厳しい冷えが身体を襲うので、胃腸トラブルは暫く治らないのかなと思いながら、気を紛らわして歩き続ける。なお、この時点でいざという時のために持ってきたワイヤレスイヤホンの存在を忘れていたのは痛かった。

 

 

静岡県に入る手前にあるコンビニで2敗目のコーヒーとクエン酸を注入。

思えばみそ汁を飲めばよかったのだが、思考力が弱くなっていたこともあり、コーヒーとゼリーのようなものしか身体が受け付けないと判断したのである。

 

結局、この判断が最終日も20㎞以降の大失速をまねいてしまうのであるが、この時点では補給が失敗しているなんて思いもよらないので、これが正しいと思って補給していた。

 

 

最終日二つ目の宿場町である白須賀宿に到着するころには、胃腸トラブルから下痢に発展してきており、歩を進めるものの予断を許さない状況に陥っていた。

 

走れない状態で下痢になると非常に辛い。しかも、白須賀宿から新居宿まではコンビニもないコースを10㎞ほど走らなければならない。

 

公衆トイレも期待できないコースなので、下痢が我慢できなくなったら、本当に恥をさらしてしまうことになる。

ブラジルから来ている日系人が多い浜松ということもあり、道路標識にポルトガル語が書かれている風景で精いっぱい気を紛らわしていると、サポートしてくれているメンバーが、ぼくが出発するときにホテルのフロントに忘れていた下痢止めを持ってきてくれた。

 

このタイミングで下痢止めを飲むことができたので、人生最大の汚点を免れることができた。同時に体が元気になってきたので、少しずつ走ることができるようになってきた。

 

新居の関所までは風光明媚な場所が多く、さっきまで存在を忘れていたワイヤレスイヤホンで音楽を聴くことで相乗効果を使って、残りの距離を走り切ってしまおうと考えた。

 

実際、新居の関所までのコースではキロ7分台で走れた区間もあり、意外と身体が動いていた。結局この後に補給で失敗していたツケを払わされることになって走れなくなるのだが、この時点ではそんなことがあるとは思ってもみなかった。

 

 

新居の関所に到着して、残りはハーフマラソンの距離である22㎞程度を残すのみ。

ここからは気力だけで走っているような時間が続きました。

 

 

浜名湖に差し掛かると、いよいよゴールを意識し始めます。

 

 

浜松に入ってきました。この時点で「よく200㎞以上も走ってきたなあ~。」と若干感傷に浸る自分がいましたが、最後の地獄はここから始まりました。

 

浜松市街地に向かうにつれて、足が徐々に重くなります。

 

浜名湖と晴天に気持ちを向けて気分を紛らわそうとしますが、一向に状態は上向きません。このころになると、音楽の力も効果がでなくなってきました。

 

舞阪宿を通過したあたりから足が徐々に動かなくなり、高塚駅手前で完全に足が止まってしまいました。

 

実は舞阪から浜松駅にあるアクトタワーが見えた時、脳がゴールだと認識してしまったこともあり、身体が言うことをきかなくなってしまいました。つまり、動くことすらきつくなってしまったのです。

 

加えて、ここまで200㎞以上動き続けてきたので、血が足にいってしまい、下半身がパンパンにむくんでいました。足を止めると動けなくなるのが怖かったのでケアしてこなかったのですが、ここにきて補給ミスも重なって一気に動けなくなりました。

 

 

なりふり構っていられないので、車がバンバン通る交差点で横になって足を上にあげてブラブラします。もう応急処置すら効果がない状態になっていました。

 

ここからゴールの六所神社までは、まだ15㎞程あります。

 

3時間でゴールまで到着することを目標にして、16時前までにゴールすることにしました。制限時間は17時までだったので、十分に間に合います。

 

 

ゴールまで間に合うとわかれば、あとは気力で進むしかありません。歩くことも辛い状態でしたが、1時間で5キロのペースは死守して進みます。

 

正直、高塚駅から浜松駅まで永遠に続くんじゃないかと思うくらい、歩き続けました。気持ち的には終わりがないと感じていましたが、確実にゴールには近づいている実感だけを支えにして、歩みを進めました。

 

高塚駅を超えて浜松宿に入る手前で、既にゴールしていた東軍のメンバーが追いかけてきてくれて、残り6㎞ほどを一緒に歩いてくれることになりました。

 

不思議なもので独りから解放されたと同時に、安心してしまったのか、足がさらに痛くなって歩くのがさらにしんどくなってしまいました。

 

それでも、仲間と一緒に歩きながら、ここまで至る気持ち、参加したときの想いを話しながらゴールまで進みました。正直、この仲間と一緒に進んだゴールまでの6㎞は、言葉で形容するには難しいくらい贅沢な時間でした。

 

そして、250㎞を走破してゴールである天竜川の六所神社に到着!

ゴール手前で西軍のメンバーとサポートしてくれた仲間も合流して、みんなでゴールを目指します。

 

不思議だったのは、ゴール直前からゴールしたときの感情が、感動や感傷といった類のものではなく「終わったー!寒いから早く帰りたい!」ということでした。

 

初めてのウルトラマラソンで250㎞を走破したので、もっと感動が出てくると思っていましたが、全然そんなことはありませんでした。

 

その時の想いは、ゴールしてすぐに書いた記事で触れています。

 

250㎞を走る東海道ウルトラマラソンを終えることができました!
2020年12月30日から2021年1月2日にかけて、京都の三条大橋から静岡県の浜松市まで約250㎞を走るウルトラマラソンレースに参加してきました。 マラソンは2010年からゆる~く続けてきましたが、最長距離はフルマラソンである42㎞が最高...

 

みんなでゴールしてビールとコーラで乾杯!

 

このとき、初めて250㎞の呪縛から解放されたことを実感しました。

 

「もう、朝早くから走らなくてもいい」

 

それだけで、とてつもなく幸せな気分になれました。

 

初めてのウルトラマラソンで感じた仲間の存在

今回、初めて250㎞というウルトラマラソンを終えてみて、一番身に染みたのは仲間の存在でした。

 

今回一緒に参加したメンバー6人は、中国にある世界遺産である万里の長城を走るマラソンレースで知り合った人たちばかりです。

 

5月のゴールデンウィークに時間とお金を使って、中国まで行って万里の長城を走ることを何度も繰り返している戦友たちです。

 

そんなメンバーと一緒に初めてのウルトラマラソンを走りきれたことが、一番大きな収穫だったと思います。

 

そして、実は2020年に万里の長城マラソンで知り合った鉄人と仲間から呼ばれていた戦友が、病によってこの世を去っていたことも、ぼくがこのチャレンジをしようと思った理由の一つにありました。

 

鉄人と呼ばれた戦友は、病から復活してトライアスロンレースを完走するなど、常にチャレンジを続けていた姿で、我々の仲間内でも尊敬されていた存在でした。

 

そんな鉄人が一見無謀だと思えるチャレンジでも果敢に挑んでクリアしてしまった姿を知っていたので、ぼくも今回250㎞をチャレンジしてみよう、ウルトラマラソンを走りきってみようと思ったのです。

 

250㎞を走り終えて浜松駅で打ち上げをしていたとき、「あー、やっぱりこの仲間は最高だわ!」という、今回のレースで感じることができた一番大切な想いが、最大の収穫だったのです。

 

250㎞を走り終えて大きな実感は、この記事を書いている時点でも出てきていません。次はどんなチャレンジをするかはわかりませんが、人生でやり残したら後悔すると思っていた宿題は一つだけど、終えることができました。

 

他人と比較することなく、これからも自分が納得できるチャレンジを、仲間と一緒に増やしていければいいなと思います。

 

初心者が250㎞のウルトラマラソンの大会にチャレンジした際、準備した5つのおすすめ装備を紹介します!
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