2020年の年越しは京都の三条大橋から浜松の六所神社までの250㎞を、東海道の宿場町をチェックポイントにしながら4日で走りきる東海道ウルトラマラソンに参加してきました。
これまで最長で42㎞しか走ったことがなかったのですが、コロナ禍で年末年始の時間が空いたこともあり、せっかくならこれまで経験したことがないウルトラマラソンを走ってみようと思ったのがきっかけです。
この記事を書いている時点で無事に制限時間内で走りきる(歩きも当然あります)ことができたので、4日間を簡単に振り返ってみたいと思います。
250㎞は想像を絶するような距離とチャレンジでしたが、実際に経験してみることで勉強になったことも多く、非常に有意義な4日間を過ごした大会となりました。
初日は京都の三条大橋から三重県の関宿までの72㎞を走るコースです
初日は京都の三条大橋をスタートして、大津、草津、石部、土山と宿場町を経由して、初日にして西軍最大の難関でもある鈴鹿峠を越えるコースになります。鈴鹿峠を越えて、関宿までたどり着けるかどうかが、2日目以降のレースに大きな影響を与えることになります。
ぼくは42㎞しか走ったことがなく、初日の70㎞も未知の領域でした。独りでは走りきることができなかったと実感しているので、レースの計画性と同時に仲間の存在はとても重要だと感じた次第です。
あいにく、当日は朝から雨が降っており、夜にかけては関西地方は雪が降る天気予報でした。冬場のレースで雨は体温を削られる要因になるため、スタートから「大変なレースになるな。」と感じました。
雨のウルトラマラソンでは足がふやけた状態で長時間走ることで、マメができやすくなってしまうリスクがあります。そのため、靴下の上に足の形をしたビニールを履くことで、靴は濡れても靴下や足は水から守る対応を行いました。
この対応は、結果的に70㎞を無事に走りきることができた要因の一つとなりました。
そして、東京の日本橋を出発する東軍と健闘を誓いあって、朝8時過ぎに京都の三条大橋をスタートしました。
最初の宿場町は滋賀県の大津になります。12㎞程度の距離があるため、身体ならしとこれから始まる長い旅路に想いを馳せながら、少ししかない京都の街を走っていきます。
京都を走るのは僅かしかないため、9時過ぎには山科へ抜けて滋賀へと走り続けていきます。初日は雨は降っていましたが気温は10℃程度あったので、走っていると汗がでてくるくらい暖かく感じました。
カッパを着て走っていたのですが撥水性が宜しくなかったため、走っていると汗がダラダラ出てきます。汗が予想以上にでてきていたので、補給を早めにしながら山科から大津へ抜ける山を越えていきます。
そして、山科を抜けるとすぐに大津宿に到着しました。
この時点で12㎞ほど走っていますが、初日は最長距離である70㎞を走る必要があるため、まだまだ先は長いです。それでも、レースが始まって最初の宿場町に到着したので、このときは体力が有り余っていることもあり、気分は上々でした。
大津宿を超えると、すぐに琵琶湖を渡って草津宿へ向かうコースになります。琵琶湖を越えるときに風を心配していましたが、幸い風は小さな追い風だったので、琵琶湖越えもすんなりと済ませることができました。
今回の4日間を通じて有難かったのは、向かい風になることがほとんどなかったことです。基本的に追い風のなかを走ることができたのは、些細なことが気になる超長距離を走るレースでは、本当に助かりました。
天気は相変わらず晴れることはありませんが、仲間2名と一緒に淡々と草津宿へ向けて走ります。このとき、二人は次の大会である沖縄サバイバルランの予選会も兼ねた250㎞を見据えて、次回は琵琶湖を一周しようとか話をしていました。
2人はウルトラマラソンを何度も完走しているので、ぼくと違って余裕が全然違いました。こうしたところからも、長距離レースにおいて経験はとても大切だなと感じた次第です。
京都を出発してから25㎞程度走ってきたところで、草津宿に到着しました。東海道の宿場町は、宿によっては当時の面影を残していない場所も多くあります。草津宿は比較的当時の面影を感じさせてくれたので、到着して感慨深いものがありました。
実際に長距離を走っていると景色が変わらないと刺激が少ないため、自分と向き合う時間がとても多くなります。うまく自分と向き合えなかったときに景色が綺麗だと気を紛らわすことができるため、草津宿のような風景はとても有難いです。
ちなみにこの時点で4時間ほど走って25㎞程度。
まだまだ余裕はあったのですが、あと50㎞近くも走る必要があるので、先に続いている距離を考えると精神的には結構つらい部分も感じました。
草津宿を越えて石部宿に向かう途中のコンビニで昼食休憩。
ウルトラマラソンは補給がとても大事になってきますが、経験が一番モノをいう部分でもあります。僕は胃腸トラブルを警戒していたので、脂っこいものは避けて暖かい汁ものにおにぎりを入れた即席猫まんまをメインに補給していました。
初日なので胃腸も動いていたので補給もすんなりでしたが、朝に胃腸トラブル防止のガスター10を飲んでいたことも、補給に対して比較的スムーズに対応できたと思っています。(最終日に胃腸トラブルになってしまい、ウルトラマラソンの怖さを体験しましたが、この時点ではそんなことを知る由もなく)
一緒に走った二人はカップラーメンやカツどんを食べていました。何を補給するのかはとても重要ですが、タンパク質や油など、ゆっくりとエネルギーになっていく栄養も計画的に摂取していくことが、超長距離でバテない身体を維持する秘訣になると、今回のレースを通じて学びました。
石部宿から鈴鹿峠までは、比較的天候に恵まれた区間でした
昼食を終えてからは、鈴鹿峠までの約25㎞を走るコースです。比較的変化に乏しいコースでしたが、雄大な自然のなかを淡々と走り続ける区間になりました。
宿場町は、石部宿、水口宿、土山宿と鈴鹿峠までの3つとなります。
石部宿に向かう途中は雨が降ったりやんだりで都度着替えているとタイムロスが大きいため、カッパを上下着て走りました。このカッパが曲者で、通気性も全く考慮されていないため、汗がでてくると袖の部分に汗が水分としてたまってしまい、服を濡らしてしまう事態になってしまいました。
初日は途中でインナーを着替えたので事なきを得ましたが、仮に走れなくなって歩きが長くなってしまうと、汗で身体を冷やしてしまうことになるので、このあたりは長距離を走るときには気を付けないといけないポイントでした。
石部宿も無事に通過します。
途中で虹がはっきりと出てきたりして、70㎞を走る必要がある状態を少しでも紛らわせてくれました。
でも、制限時間が設けられていて夜11時までに宿泊場所に入っていないといけないため、あまりゆっくりもしていられないので、淡々と鈴鹿峠を目指して走ります。
水口宿も順調に通過。
この時点で足にはだいぶダメージが来ていますが、初日ということもありなんとか引っ張ってもらいながら走っている状況でした。
鈴鹿峠を越えるのはスタート時間の関係から、夜になることはわかっていました。心配なのは、天気予報では30日の夜から天気が崩れてきて、場所によっては雪になるといっていたことです。写真は甲賀あたりの風景ですが、天気は良くてとても気持ち良いコンディションでした。
鈴鹿峠では泣きたくなる状況に陥るのですが、この時点では気持ち的には余裕余裕でした。
土山宿も予定通り到着することできたので、残すは鈴鹿峠の途中にある坂下宿と関宿になります。
この時点で50㎞を越えており、流石に足の甲が痛くなってきました。
ビニール靴下のお陰でマメはできませんでしたが、足がこれまでにないくらいふやけていました。シューズも少しきつめに縛っていたせいか、足の甲がズキズキと痛み出しました。
ここで中にはいていたビニール靴下を脱いで、峠越えに備えます。
夜の鈴鹿峠は吹雪でした。
土山宿を越えて、50㎞を越えたあたりから初日最大の難所である鈴鹿峠に差し掛かりました。ちょうど日も落ちて真っ暗になったところから鈴鹿峠越えを始めましたが、運が悪いことに雪が降ってきてしまいました。
鈴鹿峠は最高で300mあるため、ダラダラと登っていかなければなりません。登りは歩くことも考えましたが、一緒に走っているメンバーが「この状態で歩いてしまうと、もう走るの嫌になるから歩くのは駄目」と指示を出し、ひたすら黙々と鈴鹿峠を登り続けました。
雪はどんどん強くなってきて、鈴鹿峠の頂上あたりでは完全に雨と混ざった吹雪となってしまいました。
泣きたくても、歩きたくても、まだ10㎞ちかくは走り続けないといけません。
淡々と走りました。
ただ、車も少なく真っ暗な道を走るので、何かでてきやしないかと内心怖くてビクビクしていました。
そして、鈴鹿峠の途中にある坂下宿に到着。
暗くて写真を撮ってもわかりません。家に人の気配はありますが、年末で吹雪なので外を歩いている人もいません。
止まると体温が下がって冷えてしまうので、歩くこともなく淡々と走り続けました。
下っていけば関宿に到着するのですが、下りがまた急で長い長い。途中で狭い道で車が横を通り抜けていく場所もクリアしながら、なんとかして関宿に到着。
鈴鹿峠の三重側は、みごとなまでの雪模様で、翌日は雪ががっつり積もるのですが、鈴鹿峠を越えて関宿についた時のホッとした気持ちは忘れることができないくらい充実していました。
関宿は風情ある宿場町が整備されていて、とても綺麗なところでした。関宿の公衆トイレで用をたした後に飲んだミルクティは、この世のモノとは思えない旨さでした。
初日は無事にレース終了も、2日目にウルトラマラソン初心者を襲うトラブルが待っていました。
初日は最大の難関である鈴鹿峠と、人生最長距離である72㎞を走り切り、とても充実した一日でした。
鈴鹿峠をクリアできた安心感から、2日目以降は余裕だと考えていましたが、ステージレースの怖さを知らなかったため、2日目以降にトラブルが発生してとても大変な思いをしてしまいました。
それでも、人生で自分が経験したことのない世界を経験してやり遂げることは、この4日間を通じてとても貴重な体験となりました。
ホテルでゆっくり休みましたが、2日目は4日間で一番つらいレースになりました。