【書評レビュー】足を切断された托鉢僧の小澤道雄さんが説く比較と苦しみ。

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突然ですが、いきなり両足をひざ下から切断されて無くしてしまったら、どうしますか?

考えただけでも想像がつかないくらい絶望な状況ですが、曹洞宗の僧侶である小澤道雄さんという方は、実際にひざ下から両足を切断された過去を持っています。

小澤道雄さんは、戦争中に旧満州で戦う兵士でしたが、日本が敗戦したあとに旧ソ連によってシベリアに抑留されてしまいます。その後、シベリアから旧満州へ送還されるさいに重度の凍傷になってしまい、両足をひざから下の部分を切断するしかない事態に追い込まれます。

両足を失ってしまった小澤道雄さんですが、自分自身と徹底的に向き合いながら、両足が切断されて移動が圧倒的に不自由となる条件においても、自分の現状を受け入れて、できることを片っ端から行動していった凄いかたです。

ぼくは幸せなことに五体満足で不自由なところはありませんが、7月は転職するために仕事を辞めることになったとき、自分という人間が如何に他人軸や社会的自己肯定感に頼っていたことに気が付き、人生のありかたを見失ってしまいました。

はやいはなしが、このまま生きていく自信がなくなってしまったのです。

仕事を辞めたぼくは足を切断されることも、もちろんありませんでした。その恵まれた条件のなかで、読書を通じて自分と向き合い、周りの状況ではなく、自分のなかにある信念に向き合って生きていくことが、自分の人生を生き切ることだと理解できました。

そして、今回、小澤道雄さんの著書を通じて足を切断されながらも、自分の置かれた状況を受け入れて消化し、自分ができることを日々精一杯やりきる姿に感銘を受けました。

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小澤道雄さんの著書「本日ただいま誕生」

本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ、は小沢道雄さんが足を切断されてから、日本に帰国して商売をしたり、托鉢僧として日々を過ごしていくなかで考えたことや、出会った人々とのエピソードをまとめた自伝です。

両足を切断されるという絶望のなかにおいて、この本で小澤さんは、ある意味客観的に、そして明るい語り口で両足を切断された自分に向き合っている姿を描いています。

障害は悲しいことであるが、自分の現実に眼をそらしてはならない。冷酷に己を見つめてそこに腰を据えて、そこに祈り、そこに願い、残された機能を自ら邪魔することなく精一杯に発揮するしか障害者としての生きる道はない。それがたとえ一般人の半分、十分の一、いや、百分の一のことしかできなくとも、そんなことは問題ではない。精一杯に花を咲かせるか、咲かせないかが問題である。

自分にはどうしようもできない戦争という状況下において、自分の運命を翻弄されながら、両足まで失ってしまうという悲惨な目に遭ってしまったら、普通の人間であれば、自分の不運を呪って自暴自棄になって、とてもじゃないけどまともに生きていこうなんて思えないはずです。

僕はそんな状況を想像することしかできないけど、仮に同じ状況に置かれたら、間違いなく自分を受け入れることができずに発狂してしまうと思いました。

それでも、小澤道雄さんは散々自分の状況を仏さまに助けてもらえるように願っていましたが、事態が好転することはなく、最終的に自ら悟りともいえる境地にたどり着きました。

苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは二十七年前に生まれたということだ。二十七年前に生まれたということをやめにして、今日生まれたことにするのだ。両足切断したまま今日生まれたのだ。今日生まれたものには、一切がまっさらなのだ。

 そうだ、確かにその通りだ。本日誕生だ。ただいま誕生だ。それで一切文句なし。

それは、両足がないことを受け入れ、新しい人生としてリスタートすることでした。

環境を受け入れることで、本当の人生が始まる

本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだのなかで、小澤さんは托鉢僧や商売を通じて、自分が障害者であることを、否応なしにも感じされられます。

そのうえで、小澤さんはその境遇を受け入れ、他人と比較することをやめたことで、精神的な自由を手に入れることができたんだと、ぼくは著書を読んで感じました。

障害に座る。私におけるこの坐りとは、そこに生ずる苦しさや悲しさから逃げず、その苦しさ、辛さ、悲しみを究尽、つまり消化してしまえということであります。

どんなに悔やんでも、後悔しても、自分に与えられた人生は一度きり。

ならば、辛いかもしれないけど、自分が置かれた環境を受け入れて消化することで、自分に与えられた一度きりの人生を、精一杯生き抜くことを目指す。

目標とか他人との比較ではなく、あくまでも、自分が納得する人生を歩むように努力する。

こうした姿勢と精神状態を、小澤道雄さんは著書を通して教えてくれました。

人生は一度きり

一般の五体満足の方々は、満足であるがゆえに、それは丁度ぬるま湯に全身つかっているようなもので、仏様の温かさがわかりにくいのではないでしょうか。

決して小澤さんは他人を責めることはしませんが、この引用文は、五体満足で生きていけている自分にとって、頭をガツーン!と殴られたような気がした内容です。

世間には自分よりもっと大変な、辛い状況に置かれている人たちがいる。

その方々に変わることはできないが、せめて自分に与えられた人生を納得できるように生きよう。

そんな決意を抱かせてくれた本でした。

ちなみに、この本は絶版になっているので、図書館で借りてくるといいと思います。

 

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