【ウルトラマラソン三日目】心が折れる寸前ながら東海道を豊橋まで歩を進めた60kmの旅

TRAINING

ウルトラマラソン初心者が4日間で東海道を250㎞走るレースに参加して3日目。

 

二日目に足の痛みと寒さ、そしてまだ2日間もレースは残っているという状況に絶望感を感じ、三日目はリタイヤするかどうか直前まで迷っていました。

 

ただ、リタイヤするのはいつでもできるのと、人間は辛いことを経験しても時間が経つとショックも薄れることが関係しているのか、三日目は4時ころ目が覚めた時に、「走ってみるか!」という気持ちになっていました。

 

当然ながら二日目のダメージ、ステージ制レースということで毎晩休息することによって身体がリカバリ状態に入ってしまうことから、疲労はどんどん蓄積されていくのが、起きてすぐにわかりました。

 

足は痛い。身体は重い。むくみはひどくなる。

 

それでも三日目は走れるところまで頑張ろうという気持ちになっていましたので、朝5時から走り出すために準備を進めて出発しました。

 

ありがたかいことに、サポートメンバーも朝5時にはロビーにいてくれたので、独りで出発することなく、気持ちよくスタートをすることができました。

 

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熱田神宮から豊橋は事前練習で走ったことがある60㎞のコース

今回西軍は3人で走っていましたが、ぼく以外の2人はウルトラマラソン経験者であり、超長距離レースにも慣れています。

 

そのため、三日目は自分のペースで走って迷惑をかけないようにすること、そして、朝早くからスタートすることで休憩も余裕をもってとれるようにすることを考えて、朝5時から独りで走ることにしました。

 

本当は2021年の元旦に三日目はあたるので、熱田神宮へお参りしてから出発しようと考えていましたが、実際にレースとなったらそんな余裕もないくらい体力的に追い込まれていました。

 

まだ暗い元旦の名古屋を走り出しましたが、最初の宿場町である鳴海宿までは、自分が住んでいた地域を通ることもあって、懐かしさ満載でした。

 

二日目に足全体が猛烈に痛くなってしまったので、三日目は痛くない姿勢を探して脱力することを心掛けました。そのため、スピードは出ませんが、痛みを感じない走り方を見つけることができたので、精神的には比較的余裕をもつことができました。

 

既に150㎞近く走っているのに、それでも走ることができる人間のもつ底力に、びっくりしながら鳴海宿を目指します。

 

 

二日目まではナビを見ながら走っていたので時間ロスもありましたが、三日目はメンバーと事前に練習をしたコースだったため、ナビを見ることなく歩を進めることができます。

 

三日目になってくると身体だけではなく脳も疲れているので、できるだけ考えずに走ることができるのは、とても助かりました。

 

 

知らない場所を走るのも旅ランの魅力ですが、自分が住んでいた地域を走るのも、違った感情を味わうことができます。有松なんて名古屋在住時代は数え入れないくらい地名を目にしていたので、ここを走って浜松までいくと考えた時、とても不思議な感じがしました。

 

 

鳴海宿は当時の面影を感じることができませんでしたが、有松は宿場町風の街並みをうまく利用して観光地化していました。

 

 

風情がある街並みを元旦から京都より走って通過するなんて、頭がおかしいとしか思えません。

 

 

有松を抜けて東海道を池鯉鮒宿(知立)へ走っていると、タヌキの置物に出合いました。

 

大晦日も元旦もウルトラマラソンを走っているなんて、タヌキから見ても頭がおかしいとしか思えないのでしょう。首をかしげて、こちらに目線を送っていました。

 

 

三日目は天気がよく、雪が降っていた二日目と比べても恵まれた天気でした。

 

人間は不思議なもので、劣悪な条件を身をもって経験しておくと、少し条件が好転しただけでも幸せを感じることができるようになります。これは、今回のウルトラマラソンで毎日実感したことでした。

 

初日は雨&吹雪、二日目は雪と寒さと、辛い思いを前半に嫌というほど味わいました。

 

そうした経験があったおかげで、三日目に晴天に恵まれたおかげで、「今日は最高だな!」と思えることが出来るようになったのは、自分でも面白かったです。

 

ウルトラマラソンの三日目以降は、こうした言葉が自然と口をからでてくるくらい、自分の中の変化を感じていました。

 

 

それでもいくら変化を感じたといっても、身体が辛いことには変わりはありません。

 

なんとか足が痛くない姿勢を維持して走ることができていましたが、ここまでで既に150㎞以上走っています。月間走行距離が200㎞を越えたこともあまりなかった自分としては、三日でこれまでの一か月に相当する距離を走ること自体、想像を絶するチャレンジなのです。

 

ただ、三日目になると「あと一日で終わる!」と思えるようになるので、脳が辛いと思っていても、なんとでもごまかしができるようになります。

 

でも、先ほども言いましたが、身体がきついことには変わりはありません。足だって重くなります。三日目も20㎞を走ったころから、徐々に足には痛みが出てきます。

 

 

それでも練習で走ったことがある、制覇したことがあるコースということは脳も覚えています。この脳が覚えているという経験はとても大きなことで、自分のなかでも体力をコントロールできるようになっていました。

 

三日目は、山場である藤川宿から始まる100mほどの登りを走りきることを目標にしていました。

 

その目標達成に向けて、岡崎までの30㎞は順調に来ていました。

 

 

岡崎まで順調に来ていたので、普段はあまり食べないパンも、身体が欲していたので昼食に食べることにしました。ただ、このあとからウルトラマラソン三日目の洗礼にあうことになります。

 

ウルトラマラソン三日目の洗礼 下痢と補給ミスによるエネルギー切れ

 

岡崎を越えて最大の難関と踏んでいた藤川宿までやってきました。

 

ここまで40㎞程度走ってきているので、体力的には結構限界は近づいています。それでも、二日目と違い、走るスピードはキロ9分でキープできていたので、このまま藤川宿さえ越えることができれば、このまま豊橋まで走っていけると考えていました。

 

しかし、ここからウルトラマラソンの洗礼を、またしても浴びることになりました。

 

下痢です。

 

当初、ウルトラマラソンは補給と胃腸トラブル対策が重要になるので、ウルトラマラソン経験者のブログを読んでガスター10を毎日飲むようにしていました。

 

ガスター10のお陰で胃酸による内臓トラブルにもならず、二日目までご飯も食べることができていました。

 

しかし、三日目に入って150㎞を超える距離を走ってきたこともあり、内臓にも疲労がたまっていたのでしょう。普段食べないパンを食べてしまったことで、おなかが緩くなっていました。

 

そこへ、「豊橋まであと少し!」と踏ん張る意味を込めて痛み止めを飲んだところ、見事にお腹を下して下痢になってしまいました。

 

 

藤川宿の本陣跡にある駐車場で公衆トイレがあったため、元旦から道路上で人生最大の汚点をさらす事態は避けることができましたが、下痢によって一気に状況が変わってきました。

 

下痢によって身体が動かなくなり、足も固まってしまいました。

 

そこに来て、二日目までは暖かい汁ものと米で補給していたのに、三日目は汁物ではなくジェルやパンといった即効性があるモノを補給していたので、44㎞以降は一気に体力がなくなってしまいました。

 

 

本来は糖質とタンパク質、そして脂肪と、エネルギーになる速度が異なる食べ物を戦略的に摂取しないといけなかったのですが、三日目は糖質に偏ってしまい体力が持ちませんでした。

 

実はこの時点ではそういったこともわかっていなかったので、四日目の補給も同じミスをしてしまいました。レース後の打ち上げで経験豊富なメンバーから補給について教えてもらい、初めて戦略的に補給することの重要性を知ったのです。

 

体力がなくなってしまい筋肉も固まったのが御油宿に向かう下り坂だったため、この時点で足が痛くて痛くて下り坂を走ることができなくなってしまいました。

 

この時点で16時を過ぎたころです。

 

残り15㎞をキロ10分程度の速度で、1時間で5キロを進む作戦に切り替えました。

 

ここからは気力の勝負です。

 

夜になって冷えてくるので、足だけは止めないようにキロ10分で歩き続けました。

 

 

事前の練習でも豊川から豊橋の区間は殺風景で変化がないので、ここを如何に乗り切るかが課題だと思っていましたが、案の定、歩いてしか通過できないことになり、かなり精神的に消耗させられました。

 

ステージ制のウルトラマラソン、毎日いろんなトラブルや気づきがあるなと、本当に面白いなと思いながらゴールに向かって歩き続けました。

 

途中道が狭かったり、暗くて道路の出っ張りに気が付かずに親指の爪を強打して内出血するなど、ボロボロな状態になりながらゴールである豊橋駅前のホテルにつきました。

 

ゴールした時点で19:30ころだったので、三日目の夜はメンバーたちと近くのワタミで打ち上げをしました。

 

泣いても笑っても四日目が最後なので、気持ち的には「やるしかない!」と気力がありましたが、最終日に懸念していた胃腸トラブルにあってしまうとは、この時点では知る由もありませんでした。

 

なお、我々が打ち上げをしている三日目の夜に、東軍の2名はレースのゴール地点である浜松の天竜川沿いにある六所神社に到着しており、最終日は西軍のメンバーが無事にゴールできるかが焦点となりました。

 

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